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ド・ゴールも苦しんだ糖尿病

● 様々な合併症をもたらす糖尿病
 フランスのシヤルル・ド・ゴール大統領が糖尿病に冒されていた事実は我が国では、あまり知られていません。教育者だった父の影響で昔をなつかしむ王党派に属し、熱烈な愛国者、とりわけ義務感が強かった彼は、ただ、自分自身の身体の不調を口にしなかっただけなのです。
 ド・ゴールの主治医アンドレ・リシュウィツ博士は内分泌腺の専門医の中から選ばれました。ド・ゴールは、食餌療法や薬剤により糖尿病はうまくコントロールされていましたが、この病気がもたらす結末を知っていました。末梢神経が冒され、血管に合併症が起こり、目にも症状が出ることがあり、網膜がやられると失明し、白内障を合併することもあるということを。
 1956年、66歳になつたばかりのド・ゴールは白内障になり、両眼の水晶体の摘出手術を受けています。以来、彼には部厚い特別の眼鏡が必要となつていましたが、公衆の面前では決して眼鏡をかけることはなかったのです。そうだとすると、彼の目には話し相手の輪郭や物の影しか映らなかったはずです。目の手術から1年後に彼はタバコ厳禁を主治医から言い渡されているので、血管の病変が進行していたことも推察されます。
 ド・ゴールの兄ピエールが、59年12月エリゼ宮で激しい心臓発作を起こし急死しました。このとき、主治医のリシュウィツ博士が週末までパリには不在だったことから、若いインターンを二人、24時間体制で大統領の身辺に配置したのでした。また、彼は64年には老衰の強迫観念にとりつかれ、前立腺の手術も受けています。そして、70年11月9日の夕方、解離性大動脈痛が心臓の近くで破裂し、これによる出血でド・ゴール大統領は即死しています。
● 心臓病に次ぐ患者数
 糖尿病の恐ろしさを示す例としてド・ゴール大統領を挙げましたが、我が国にも156万人の糖尿病患者がいるのです。心臓病の160万人に次いで多い数字です。あるコンピューター会社に勤務しているA氏(49歳)も、その中の一人です。
 A氏は、全く無症状であったにもかかわらず、健康診断で血糖値が142もあったとのことです。75gブドウ糖負荷試験を行ったところ、前値138、2時間値261と糖尿病のパターンを呈し、インスリン反応も低値を示していました。
 高血糖をきたす要因には、内分泌疾患のほか、妊娠、ストレス、高脂血症、過剰栄養、肥満、その他副腎皮膚ホルモン、グルカゴン、カテコラミン、甲状腺ホルモン、経口避妊薬などがあります。
 A氏の場合には、肥満とストレスが要因としてあり、食餌、運動療法に加え、糖の吸収を抑える薬剤により治療を開始しています。


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